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乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

一応、生きてますんで。

生存報告を兼ねて、ちょっとだけ。

 

あれこれ、絶望しそうなことがいろいろ起こる世の中だが、そろそろ「絶望しているだけでは、やってられない」っていう人が少しずつ、増えているような感触が最近しています。

まあそれは希望的観測に過ぎないのかもしれないし、そういう人が増えているからって、絶望している人が希望を持てる理由もないわけで、絶望しっぱなしの人も沢山いる、というのも事実なのだろうな、と想像したりもしてますが。

 

「未来への不安とは、実は隠された未来への希望ではないか」というようなことを昔どこかのページに書いたような気がします、きっと、多分、おそらく。

不安の種類にもいろいろあるかもしれません。未来への希望が見いだせない不安もあるでしょう。でも、あえて、今生きているのなら、そこには、最低限「明日を生きて迎える希望」があるのかもしれません。

「不安がある」ということは「克服すべき対象が存在する」ということではないでしょうか。「不安を不安がる」のではなく、「不安の元を探れば、不安は解消する」ということなのではないかな、と最近は思います。

「不安」とは心の状態、なのならば、不安を取り除くのは自分自身にしかできないことなのではないのでしょうか。

 

人が「絶望」を感じる時、それは「何に、どんな状態に」絶望しているのか。

「絶望的状況」にただ「絶望」するのではなく、その「絶望的状況」のどこに「絶望」が潜んでいるのか、それを探るだけのことでも、人が生きるために必要最小限のことなのかもしれない、とか思ったりします。

 

「自分が絶望する」ことは、意外と簡単にできるのかもしれません。でも、「自分が何に、どんな状況に絶望しているのか」について考えること、というのは、意外に大事なことなのかもしれない、とか思った日曜の夜でした。おしまい。