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なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

「天皇の地位」を巡って

あけましておめでとうございます。

今年は、ブログに色々書き残しておきたいと思っているけれど、どれくらいできるか。毎年のように、「念頭に思っただけ」になってしまう危険性はかなりあるが(笑)。

天皇の「生前退位」を巡って

天皇の「生前退位」つまり「譲位」を巡って、政府では「有識者会議」での意見収集が始まりました。報道では「一代限りの特別法」で意見の集約が図られている、と言われていて、政府としては「有識者」の意見を重視して結論を出そうとしているようで。

天皇退位、特例法で一致 有識者会議、議事概要を公表(朝日新聞

さて、こうした政府の議論について、国民の意見はどのように反映されているのだろうか、と考え込んだりもするが。

一方で、「特例法による天皇譲位は、憲法二条に違反しているのではないか」という疑義を提唱する意見もある。憲法第二条によって「天皇世襲のもの」であるとことともに「皇室典範の定めるところにより継承する」ことが明記されているため、「特例法による生前退位は、同時に特例法による皇位継承を伴うことになり、これが第二条に違反するのではないか」という意見に触れたことがある。

天皇の生前退位 「特措法」は違憲の可能性』
https://dot.asahi.com/aera/2016092600168.html

また、昨年9月の朝日新聞世論調査では、「今の天皇陛下の退位」に賛成が91%、そのうち「今後の全ての天皇も退位できるようにする」が76%、という数字が出ている。

世論調査―質問と回答〈9月10、11日実施〉:朝日新聞デジタル

その他、読売や日経での世論調査でも、「生前退位」については賛成が反対を大きく上回っているようである。質問文自体が明らかになっていないので、どういう聞き方をしたのか、については不明だが。

西日本新聞世論調査では「制度」について聞いていて、生前退位「できるようにした方がよい」が89%、という結果になっている。また、対象を「今後の全ての天皇を対象にした方がよい」が70%に上っている。この調査の質問はPDFで確認できる。

http://www.nishinippon.co.jp/import/national/20161120/P_CC14010900000177-11-20-2.pdf

いずれにしても、主権者である国民としては天皇の「生前退位」「譲位」については肯定的に受け止めている、と思っていいのではないか、と思う。僕自信も、多くの方々と似たような意見で、できれば生きているうちに退位されて、皇后さまと静かに過ごしていただければ、と思ったりしているのだが。

とは言え、いろいろな問題があることは、確かなようで。

法律的な問題

まずは、憲法にも皇室典範にも、「退位」については明記されていない、ということでしょうか。継承については第四条「天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する。」とあるだけである。

この皇室典範は、基本的な内容は皇族一族についての条文が殆どで、それは明治憲法化での皇室典範と現行のものであまり大きな変化はないようです。皇位継承の順、摂政の項目、皇族の範囲などは、ほぼそのままである。
つまり、皇室典範という法律は、日本国憲法に合わせて新しく作り直された法律ではあるのですが、その内容は(明治憲法の時と)それほど変わってはいない、と言える。明治の皇室典範は、明治憲法と合わせて皇室制度を近代法制として明文化する必要に迫られて作られたものだということだ、ということで。

この明治の皇室典範制定時、「一度皇位についた以上、自分の意思で退位することは道理に合わない」と主張して、原案に盛り込まれた譲位に関する規定に異を唱えたのが伊藤博文(当時初代首相)だったそうで。
「権臣の脅迫によって両統互立を例とすることがある」譲位を容認すると、上皇法皇による天皇への対立が起こり得る、政治的な思惑による強制的譲位もありえない話ではなくなる。そうなると皇統が乱れ、ひいては日本の安定が損なわれる。そう、伊藤は考えたらしい。

【生前退位】明治の元勲・伊藤博文はなぜ譲位容認案を一蹴したのか? 「本条削除すべし!」 明治天皇に燻る不満「朕は辞表は出されず」(3/3ページ) - 産経ニュース

こうした懸念は確かに生ずるのかもしれない。ただし、現行憲法下での天皇は政治的発言がかなり制限されている上に、民主的な手続き上何ら権能を有しない、ということになっていて、「国家元首」として位置づけられていた明治憲法での天皇(皇族)とはかなり異なっているのも確かである。
ただしそれでも、天皇の「お気持ち」を「政治的発言」と受け取る政治家がいたりする現状では、譲位された「元天皇」(上皇、になるのかどうかはわかりませんが)を担ぎ出そうとする政治家が、いないとも限らない、と思えたりもするし。

ただ、考えてみると、伊藤博文の懸念「権臣の脅迫によって両統互立」の事態を生じる場合や、(前出産経新聞の記事にもある)「天皇の意思を踏みにじる強制退位」などは、権能を有しない天皇の明らかな「政治利用」であり、現行憲法下ではこのような「政治利用」によってしか天皇の譲位が日本の統治に混乱を生じさせることはないようにも思える。
また、それを避けるためには、「譲位された元天皇」は、国事行為や公的行為から完全に離れることを定めておけば良いようにも思えるが。それだけではダメなのだろうか。

こうしたことを考え合わせると、「天皇を元首」とする改憲草案を手放そうとしない自民党安倍政権にとっては、「生前退位(譲位)」もまた「将来元首となる天皇」にとっては重大事だと、伊藤博文のような考え方をしているのかな、と思えてくる。

ここまで少し「憲法」と「皇室典範」について考えてみたが、考えることは他にもありそうだ。譲位後の元天皇をどういう立場で扱うか、国事行為は行わないとしても、その他の公的行事への参加について、あるいは本人が公的行事に参加を希望されたときにはどうするか、普段のお住いや世話人についてどうするか。宮内庁の運営や予算に関わる法律の変更も必要となってくるかもしれない。

できれば、政府にも腰を据えて、天皇のあり方について議論をして欲しいと思うのだが。

憲法第一条と生前退位

憲法第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基づくものであると、憲法に明文化されている。天皇の地位の基盤は「国民の総意」にあるのであり、行政の決定にあるのでもなければ、議会の多数決にあるのでもない。僕にはそう読み取れるし、そう受け止めている。

その上で、有識者会議の議論は「国民の総意に基づいて」いるのかどうか、僕は疑問を感じているし、有識者会議にしろ政府にしろ議会にしろ、広く「国民の総意」を集め、「国民の総意」に従う方向での意見集約を図る必要があるし、そうしないで「生前退位(譲位)」についての決定を下すことは、「国民の総意」である「天皇の地位」を揺るがせるのではないか、と思う。

これまでの有識者会議の報道を見ていると、「お気持ち表明」で天皇摂政について否定的に述べられたにも関わらず、有識者会議で「摂政を立てればよい」という意見が出されたりする。世論調査では「生前退位を容認する」意見が多いのに対し、有識者会議は「生前退位は容認できない」という意見が半数(かそれ以上)で、「それはどうなのか」とも思うし。

天皇の「お気持ち表明」は、政府・議会に対しての「天皇の地位」を問うものであると同時に、国民に対しても「おのれ(天皇)の地位」を問いかけるものではないか、と感じられる。自分の地位が「国民の総意に基づく」以上、天皇の意向をいちばん重く受け止められるのは、行政でも議会でもなく、国民しかいない、ということではないのだろうか。

天皇の、「生前退位を含む皇室のあり方」については、他のどこでもなく、「国民の総意」がその判断を下すしかない。逆に言えば「国民の総意」にそぐわない行政・議会の判断で「天皇の地位」が動かされるなら、それは憲法一条に違反する判断だということになるのではないか。

天皇の「お気持ち表明」を、本当に容認するのは国民であり、天皇の「生前退位(譲位)」についての判断は、「国民の総意」に基づくものであるべきだろう。ならば国民は「自分たち(国民)の総意」はどこにあるか、政府や議会、有識者会議の判断などに流されずに、国民自身が主体となった議論を展開し、議論し、集約していく必要があると考える。
この天皇をめぐる問題については、国民が主導するべきではないか、と思うのだが。

ひとつの問題

現行の法制度の中でクリアできない問題はいろいろあるが、僕が気になっている一つは、「天皇の人権」の問題である。はたして、現行の法制度下で「天皇の人権」は保障されているのか?

天皇は、憲法第四条により「国政に関する権能を有しない」のではあるが、日本国民に保障された「思想及び良心の自由」(憲法第十九条)、「言論、出版及び一切の表現の自由」は保障されているのか。天皇は日本国民であるのか、それともその例外であるのか。

憲法の「国民の権利及び義務」に関する各条文において、天皇を除外する項目は明文化されていない。国民にとっての権利として保障されている自由、人権は天皇には保障されないのならば、天皇は「日本国民」ではない、という考えなのか、と思えてしまう。

天皇に「職業選択の自由(=退位という選択)」を持たせることに、政府と有識者会議はどれだけためらうのか。有識者会議の参加者の「思想の自由」は保障するにしても、有識者会議の意見を「天皇の地位」を保障する「国民の総意」にするためには、政府・有権者会議は国民に対して広く意見を募り、意見を聞きながら有益な意見を取り入れ、「国民の総意」が納得する「天皇継承の手続きと退位した天皇」についての方向性を、国民に向かって提示するべきだろうと思う。

 

…他にもいろいろ、具体化するにはいろいろ議題はありそうだけど、集中力が尽きた。
天皇の「生前退位」は、そのまま主権者である国民の問題でもある、と思う。だからこそ、天皇は「お気持ち表明」という形で国民に直接聞かせる形をとったのではないか、と思える。バトンを渡されたのは、自分たち「国民」の側なのではないだろうか。

…今年は「尊皇派」を名乗ろうかな(笑)。