乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

天皇の譲位は特例法で決まるのか

天皇生前退位の特別法、衆議院を通過して、来週には参議院でも可決、成立しそうです。

世論としても、議員の中にも恒久法の必要性を主張する意見もまだ残っていて、特例法でこのまま成立させるには、まだまだ消化不良の印象があります。

政府・与党としては今後とも退位が問題になる度に特例法で対応する、という構えなのでしょうか。しかしそれでは、天皇の願いとは異なったものになってしまうのではないか、と思ってしまいます。

天皇が望んだのは、天皇家の存続と、それの日本国民にとっての位置付けを確かなものにすること、なのではないのかな、と僕自身は考えています。「象徴天皇」とは何なのか、その問いに必死で答えようとしてきた天皇の、「途中の答え」が昨年夏の「天皇陛下のお言葉」だったのではないか。

摂政による代替業務への否定的見解、老齢で天皇の公務を果たせない無念、昭和天皇の病床に伏せられてから崩御までの期間、その姿を見続けてきたこと、それらすべてを含んだ上での、「天皇のお言葉」であるはずです。

では、生前退位の「特例法」はそれらの天皇の考えを反映したものになっているでしょうか? そして「生前退位」を容認しようとする国民の意見を反映したものに、なっているのでしょうか?

果たして、今国会で審議されている「特例法案」が天皇の意思を反映し、国民世論に応えるものになっているかどうか、については考慮する必要がありそうに思うのですが。

さらに遡って考えるなら、「国民の統合の象徴としての天皇」とはどういうものなのか、国民の中で、国会で、コンセンサスが取れているのかどうか。そう考えると、「生前退位」の是非とか法律案とかの前に「国民統合の象徴としての天皇」とはどのような存在なのか、そのことについての、国民の意見をベースにした議論と、「象徴天皇」についての定義とはいかないまでも、ある程度の「概念形成」に対する国民レベルの「コンセンサス」は必要ではないのかな、と思ったりするのですが。

そうではないんでしょうか?
もしかしたら、国会や内閣ではなく、「天皇」と「国民」とがお互いの意見を交わしながら、「象徴天皇」の「定義」あるいは「意味付け」、「国政に対する位置付け」などを意見交換して、ある一定の理解を得て、「天皇」と「国民」の間にある程度の共通認識を持つ必要があるのではないのでしょうか?

昨年の「天皇陛下のお言葉」は、切にそれを望んでおられるようにも感じ取れるのだが。
政権中枢はそうでないとしても。

まとまらないまま、残しておく。