乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

総選挙を終えて

さて、第48回衆議院議員総選挙、終わりました。
結果をどう受け止めるかと聞かれれば、全体的な印象は「とりあえず、現状肯定」だったのかな、と感じています。それはどういう事かというと、安倍首相が解散を決断した理由を、国民は受け入れなかった、または理解しなかった、ということではないかと。

 

自民党維持、公明党微減、希望微減、維新微減、立憲民主増、共産党半減、社民維持、という結果に終わった総選挙。全然分析もしてない印象だけで議席の減数分を見ると、公明・共産・維新・希望の減り分を立憲民主党がさらったようにも思えます。自民党政権の「新なストッパー役」として、国民は立憲民主党を選んだのかもしれません。

 

この結果についてあれこれ考えるのは、総務省から詳細な数字が公表されてから、その数字をもとに考えて見たいと思ってます。今は「選挙というお祭りの後」であり、少し時間をとって冷静になった方がいい時期なのかな、と思ってます。

 

などと考えていたら、国会が「動かない方へ」と動いていて驚いたり。
総選挙後の総理大臣を指名する「特別国会」を8日間(しかも祝休日3日に加えてトランプ大統領来日の期間)のみに限定し、外交日程を理由に、野党から要求された「臨時国会」も招集しないという。

 

これ、国民の立場から裁判所に「憲法違反」の申し立てができないのでしょうか?

 

国民から「付託された」国家権力が、国家権力への「縛り」ともなる憲法を守らないとなれば、そして分立する三権が、国会に対する監視・監察機能を発揮できないなら、国民の側から憲法を守らない国会に対して、憲法を守らせるように働きかけて行く必要があると思います。

 

その辺も含めて、現在の国政において国会(立法)、内閣(行政)、司法(裁判所)のそれぞれの権力が独立性を持って国政に当たっているのか、独立性を失って従属関係を(現実的に)生じていないか、癒着や従属があるのならそれを正す方向に動いているのか、監視する必要があるでしょう。

 

民主主義は所与のものではなく、「守り、育てていくもの」なのだと思います。その「守り、育てていく」のは、民主主義社会の恩恵を受ける国民の仕事だと思ったりします。