乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

国会で議論してほしい、と国民が思っているのは、どんな問題だろう?

マスコミの世論調査、「支持する政党」を聞くと同時に「今の安倍政権を支持するか」を聞いたアンケートは、行われていたのだろうか? 「支持政党を聞く設問」に、現在・過去・未来という「時間に伴う意識変化」を問う質問はあっただろうか?

ということをふと思ったりした。「支持政党」を聞く質問の後に、「過去も好きだったか?」「今も好きか?」「未来も好きで居続けるか?」という質問を加えると、果たしてどういう結果が出るのかな? そういう質問をするマスコミは、いないのかな。


「今がどうなのか」「過去はどうだったのか」という議論は大事であるし、「起こったことはなるべく詳細に、事実に基いて」残しておくことが、未来のためにも有用な資料になることは間違いではないと思う。

さらに「今はどうなのか」という議論には、政治的な議論には「これからはどうするか」という議論に直結する。「今がこう」だから「未来もこう」とは限らない。未来は変化する。自分が変わらなくても、周囲、環境が変化する。社会環境は「やがて変化するもの」として認識する必要があり、政治的にもそれは(社会環境が変化を必然とする限り)変わらない。


ならば、どうするか?
「社会は変化する」ことを前提に、変化する社会の中で必然的に求められることを施策することが政治への要請になる。

政治・行政の議論の中で、その前提となっている「社会構造・社会現象」とは何か。それは、共通認識とされているのか?


社会は変化する。人間関係も変化する。地球を分割する自治組織(国家)の間の関係も、自治組織内部の状況も変化する。そういう「変化する周辺環境に対応する組織運営をどうするか」という議論を、国家も、準ずる自治組織も、地方自治体も、地域社会も、意識して行っているのだろうか?

自分は「個人」であり「地域社会の一員」であり、「国民のひとり」であると、どこまで意識で切っているのだろうか?