繰り返し、何度でも確認しておく必要があるでしょう。
日本は、民主主義国家である、ということ。現状、民主主義国家として足らない部分も多々あるにせよ、少なくとも民主主義国家であろうとしていることを、国民は望んでいるのではないのでしょうか。
中には、望んでいない国民も、いるのかもしれませんけど。
それでも、国家レベルの議論の中で「脱・民主主義国家」を掲げる主張や議論は行われていない、と思っています。ただし、各論の中で「怪しい議論」がなされている例もありそうですが。
なんにせよ、民主主義国家を求めるのか、別の統治形態を求めるのか、それは国民の「意志の総体」が目指す所はどこか、を明らかにすることで、明確になるのだと思います。
*
現行の日本国憲法は、「国民主権(主権在民)」、「基本的人権の尊重」、「平和主義」を基本的理念としています。この理念は、何度でも確認し、吟味しておく必要があると思います。
「国民主権」とは、日本という国家の主権者は、国民自身である、ということになります。憲法によって国家の「最高機関」と位置づけられる国会は、それを構成する国会議員を「普通選挙」によって選び、国家運営を付託することになります。
「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。」(日本国憲法前文)
現実には、この前文の精神が国会運営に反映されているのかどうか、国民は主権者として、よく見ていく必要があるでしょう。
「基本的人権の尊重」は、憲法第十一条にある通り「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」ものであり、この人権は「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」ことになります。
ただし、第十二条に「国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならない」と記されているように、基本的人権を尊重し、それを保持していくのは「国民の不断の努力」によることになります。
「平和主義」は戦争の否定、軍事力の放棄として憲法に書き込まれています。これは自衛隊の存在をどのように位置付けるか、駐留米軍のことをどう受け止めるか、様々な論点があり、国家の根幹に関わる課題でもあると思います。
*
民主主義国家では、国政における決定事項は、全て主権者である国民の前に示される必要があります。そのために政府は、国会に「施政方針」を示し、国会の了解を得て、さらにその施政方針を実現するための法律を論議します。
それぞれのプロセス、提案の内容、議論の経過と結果などは、基本的に全ては主権者である国民に公開される必要があります。国政は「国民の厳粛な信託による」ものであるので、そのプロセスが「国民の厳粛な信託」に答えているものになっているのか、国民としてはしっかり見ておく必要がありそうです。
本来ならば、国民に選ばれた国会議員は、地方自治体の首長、地方議会の議員もそうですが、常に「国民の厳粛な信託」を意識し、真摯に国政に当たって欲しいと願うものですが、それを議員頼みにしてしまうことなく、国民の側からも国政の動向を注視する必要があります。
繰り返しになりますが、「民主主義国家」である日本の主権者は、国民です。
今の国政が、「国民の厳粛な信託」に応える国政になっているのか、どの部分が不足し、その部分が過剰なのか、審判を下すのは国民であり、国民にとっての一番強力な武器は「投票」だと思います。
全体の問題と部分の問題は、違った見え方になるのは確かでしょうが「国民の信託に応えているか」という視点から見ていくことは、ある程度有効なのかもしれない、とも思っています。
なかなか、各論に踏み込めませんが。