乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

公務員、公共サービス、「政治」を「自分ごと」に

「政治」を、「自分ごと」として考えること。

COVID-19コロナ禍の中で、政治・行政による判断・施策によって、国民は大きな影響を蒙ることが、広く知らされることになったのではないだろうか。

それは、直接国民に向けての施策だけではない。
各地の保健所の統廃合によって、緊急時に対応できない体制になっていたりしてないだろうか。
また、政権が進める病院の統廃合や法人化、ベッド数の削減などは、今回のような緊急時に影響を与えないだろうか。

また、「公務員数」あるいは「公務員給与」を「無駄を減らす」ために減らしていくことで、緊急時だけでなくても、通常においても公務員が国民のために行う仕事を十分に行えなくなっていたりしないだろうか。

ぼんやりとした感覚的な言葉で、説得的でないことは承知の上で、書き留めておく。

***

安倍首相や閣僚などが、時折「こども食堂」の取り組みに言及したりしているが、恥ずかしく思ったりしないのだろうか?
行政府(内閣)の頂点にいて、つまり子供の貧困を救済できる立場にいるのだから、貧困救済のための予算処置を国会に提出して承認を受け、予算を執行すればいい。
それができる権力を持っているのに行使しないのは、つまり行使する気がない=子供の貧困を救済するつもりがない、ということではないのか。

これだって、子供だけの問題ではないし、貧困家庭だけの問題ではない。
事故で、病気で、さまざまなトラブルやアクシデントで、自分や親、子供が思うように収入が得られなくなる可能性は、考えてみればいくらでも想像できるのはないだろうか。
それは、自分で想定できる範囲の外からもたらされる可能性だってある。交通事故、列車事故、通り魔的事件、テロ行為、etc……。

国民に対する社会的なセーフティネットは、一部の国民のためではなく、誰もが困窮したり、社会的生活に困難を感じた時に利用できるものである。というか、そうでなければならない。
そういうセーフティネットが充実した社会では、不可抗力による貧窮から国民を救い上げることができ、また国民に対して「最低限の文化的生活」を保証することができる。
「自己責任社会」よりも、僕個人はそういう社会を望むし、そういう社会の方が、多くの人々にとっても「生きやすい」のではないかと、そう思っている。

***

公務員の話に戻そう。
公務員は憲法十五条第二項に「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。」とある通り、国民全体への奉仕者となっている。

例えば「公務員削減」が「無駄な費用の削減」などを理由に唱えられているが、そういう大雑把な議論よりも、具体的に考えて行った方がいいと思っている。

例えば地方公務員にしても、役所の人員だけでなく、公立学校、公立病院、警察、消防、保健所、児童相談所、公立福祉施設、公共施設などを含めて考えると、それなりの人数を必要とすることは、理解できるのではないか、と思う。

公務員を削減することは、国家機関、地方自治組織全体の、国民・市民への公共サービスの担い手を削減すること、に繋がるのではないか。
公共サービスの担い手が減れば、国民・市民が受けられるサービスも必然的に減っていく。そんな時に国民・市民からの公共サービスの要求が増えた場合、行政・地方自治体がその要求に応えられなくなってしまう。

以前、僕は公務員の数について、「効率化できるのなら削減してもいいのでは」と思っていた。それは行政・自治体の公共サービスの質や量が低下しないなら、という条件つきだが。

しかし近年、大きな自然災害が相次いだり、今回のCOVID-19禍の中での行政・自治体の対応の全体像を見ていると、国民・市民への公共サービスの充実、質的向上のためにも、公務員を「むやみに削減すること」は別に良いことでもなんでもなく、ただ単に「国民・市民への公共サービスの低下・不足を招く」だけなんじゃないか、と思うようになってきた。

直接的な国民・市民へのサービスに携わる分野だけでなく、行政・自治体には「これから起こり得る非常事態」についても、日常業務と同時に計画を立て、備えを進め、施策を練っておく必要がある。
例えば地震、風水害、火山などの備えというのは、直接的な国民・市民への「日常サービス」ではないが、しかしそうした備えを準備してあるかどうかでは、非常事態の際の公共サービスの、大きな違いとなって現れる。

そうしたことを考えると、行政・自治体の広範な仕事を明らかにしていけば、自ずと必要とされる公務員とその仕事は、数多くあるのではないだろうか。

だから、公務員はもっと増やしてもいいのではないか、と最近は思うようになった。
国民・市民の全体が公共サービスの充実度、質の高さに満足している、という行政・自治体は本当に少ないのではないか。ならば、公共サービスの充実と質的向上のために、公務員を増やしていくことも必要なのではないか。

こども食堂」だって、行政・自治体がボランティアに「おんぶにだっこ」するような現状を、追認してはいけない、と思う。
こども食堂」は、行政・自治体が国民・市民の中の困窮の実態を補足していない結果として、そしてまた国民・市民の困窮する実態を救おうとしていない結果としてあるのであり、「こども食堂」に関して行政・自治体の責任者は恥いるべきなのである、と思う。

公共サービスを、ボランティアに任せきりにしたり、クラウドファンディングを頼りにさせたりしている行政・自治体は、自身の「不作為」を恥じ、即座に対応するべきなのだと思うのだが。