乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

主権と選挙

何度でも、書き残しておきますが、日本は民主主義国家であり、主権者は国民です。
国会議員は「国民に代わって」国会で仕事をする。これは国政の基本原則です。

「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。」(日本国憲法前文

国会での議論は、普通選挙によって選ばれた国会議員が「国民に代わって」行うものであり、そこには「国民の厳粛な信託」が求められることになります。
国会は「国権の最高機関」であり「唯一の立法機関」であると、憲法第41条に明記されています。国会の上に立ち、国会を管理監督する国政組織はない、ということになります。

実は国会の上に立ち、国会を監理監督する仕事は、国民の仕事、ということになります。日本国の主権者は「国民」であり、国会の権威は「国民に由来」するものです。国会が「国民の信託」に答えないのなら、国民は、国会が国民の信託を受けた議論を展開できるよう、いつでも、何度でも声を上げる必要があります。それこそ民主主義国家の主権者としての国民の「不断の努力」の表出、となります。

国会での議論は、「国民の厳粛な信託」の上に成り立ちます。国会議員は「国民の信託」を受けて、国政の問題点を明らかにし、問題点を解消する政策を提案し、議論を通じて、さまざまな(国民の)意見を集約することで、政策の方向性を決定していきます。

願うならば、思想、信条の違いはありつつも、日本国という国が、どういう国であって欲しいか、どんな国を目指していくのか、そういう大きな方向性をも議論の中で触れながら、さまざまな国民の意見を集約し、異なる意見を尊重しながら、同意点をどこまで広げ、深めていけるか、そういう議論を、国会でして欲しい、と思っています。

安倍首相は勘違いしているのか、わざと言っているのかわかりませんが、「総理大臣」は「行政権を持つ内閣」の長であり、三権分立の基本から言えば「行政府の長」に当たり、「立法府の長」は衆参両議院の議長になります。

総理大臣は行政府(内閣)の最高責任者です。あくまでも「行政府」の役職であり、「立法府(国会)」の中の役職ではありません。

「内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。」(憲法第六十六条第3項)

内閣は、行政の内容について、「国会に対して責任を負う」立場です。
内閣は、国会において成立した法律に基づいて、実際の行政執行を行う実施機関であり、行政権の行使において、当然のことですが、憲法と国会の制定した法律に縛られる存在です。

そうした国政の「基本部分」を押さえながら国政の報道をちらちら見ていると、ひとつの疑問が湧いてきます。
今現在、国会で議論している議員たちは、それぞれ「国民の厳粛な信託」を、どのように受け止めているのか? という疑問です。それは「議員は国民からの信託を厳粛に受け止めているのか?」という疑問です。

「国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来」するものである、と憲法前文には記されています。議員たちは「国民に由来する権威」を纏っているのであり、議員に「権威」を与えているのは、国民です。

これは大事なことだと思うんですけど、国政選挙というのは、国会議員の立場が「国民の厳粛な信託と、国民に由来する権威であること」を、議員自身に知らしめる、国民にとっての絶好の機会である、ということです。低い投票率は、議員に「国民由来の権威を、厳粛な信託によって付与された」という意識を低下させるのではないか、と。

選挙は、国民が自分の意見を代弁する「代表者」を選ぶものであり、それは得票数という「厳密な数字」で選択されます。それは国民が議員候補者に突き付ける「厳粛な信託」を表す数字です。

だからこそ、低い投票率というのは国政にとって良くない影響をもたらすのかも、と思ってしまいます。
投票率が低いと予想されるなら、議員候補者は「自分にいつも投票してくれる人」を大切にするようになる。それで勝てると分かったら、あえて「投票しない国民」の信託などを尊重しなくてもよいのでは、と考えるようになる。結果、「投票しない国民」のことは考えなくもよい、と思うようになる。そうなるのでは、とぼんやりと思ってしまう。

「国民の厳粛な信託」を議員候補者に意識させるためには、より多くの国民(有権者)が選挙に投票し、「国民の信託」の重さを当選した議員に意識させる必要があります。候補者側の「読めない票」が投票行動に向かうことで、議員候補者はその「読めない投票者」への関心を高めざるを得なくなる。
そうすると、議員は自ずから「読めない票の投票者」を意識した発言をしなければならなくなる。
それが、「主権者である国民」の仕事、なのではないかと思うのですが。
そうすることで、国民は国政における自分の代弁者である国会議員を、主権者として御することができるのでは、と考えます。

個人的に思ったことですが。