乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

【寝言】自民党は、自浄できるか?

自由民主党に、もう自浄能力はないんだろうな。今の自民党は、「まともな国政政党」ではない。

それは裏金事件だけではない。安倍政権時代からの財務省公文書書き換え(森友学園)、獣医学部新設の、官邸による恣意的誘導(加計学園)、行政の催しへの自身の支持者の招待という「公的行事の私物化」(桜を見る会)もあって、全て自由民主党内で事実を明らかにし、反省点を明らかにし、改善点を掲げて、国民の理解を得るための説明が、一切できない政党になってしまっている、ということだと思う。

そういうことについて追求されても、まるで他人事のような答弁を繰り返す岸田首相(自民党総裁でもある)の態度を見ると、自民党自体が自らを律しようとする必要性も気概も、問題に対する危機感も感じない。

政治倫理審査会で「知らない」「誰が決めたか知らない」「自分は関与していない」と繰り返す自民党議員を見ていると、彼らが何よりも「自己保身」を優先しようとする態度があからさまに見える。彼らには党を守ろうとする意識はおろか、国会議員として国政に対する国民の信頼を回復しようとする態度すら、かけらも見えない。

こういう議員に対しては、「あなたには国会議員でいてはいけない」という意見を、国民として届けなければいけない。具体的には、選挙の時に投票所に行って、「その人以外の人に投票する」という積極的行動を取るしかない。
「投票をしない」という抗議行動は、国会議員に対しては違う理解をされる。
「棄権者は意思表示をしないから、その意思は無視していい」と受け取られる。
当選した議員が、当選後に「白票の多さ」や「無効票の多さ」を気にして、その意義について考え、発言したことがあるだろうか?

自分自身は、そんな言葉を聞いたことは一度もない。
「白票」や「無効票」は、当選した議員には届かない。
それよりも効果があるのは、対立候補の得票率なのだと思う。

たとえ当選しても、僅差での勝利となれば、次は分からない、と認識する。
その時は、どういう主張が有権者に受け入れられるのか、考えざるを得なくなる。

有権者である国民にとっても、国政に対してやるべきことは、確かにある。
選挙によって当選した議員が、議会で国民の意に反する議論をするなら、その議員に「その議論は国民の意見と違う」と伝えることが必要になる。

……まとまらないけれど。
「民主主義」とは、多種多様な「主権者(国民)」の意見を集め、取りまとめ、何度も討議を重ね、行政政策に落とし込むという、かなり面倒くさい手続きを重ねながら、国政を運営していくというシステムではある。
しかし、それは国民が「為政者に国民の生殺与奪の権限を与えない」ために、為政者、権力者を国民が抑制するためのシステムでもある。

かつてのドイツで、先進的な民主主義的ワイマール憲法が、ナチスヒトラー政権を生んだ歴史の経験を、忘れてはいけない。それは、今でも続いている。
中国に返還された香港で、民主的な政治家や活動が選挙から排除されたり、ロシアの大統領選挙で反プーチン派の候補者が資格を失ったり。

「民主主義の制度の下での、民主主義を否定する動き」は、現在でも世界中で起こっている。
敏感に反応するべきことが、今も起こっているのかも知れない。
「茹でガエル」になってはいけない。「炭鉱のカナリア」に敏感になること、だと思う。