乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

三橋順子「女装と日本人」(講談社現代新書)


女装と日本人 (講談社現代新書)

女装と日本人 (講談社現代新書)


久々にtwitter以外で書いてみるなど(笑)。


読み終えた。自分の知らない世界のことでもあり、すごく面白かったし、興味深かった。
「女装」あるいは「異性装(男性の女装、女性の男装)」を切り口として「古事記」「日本書紀」から近現代の風俗まで、さまざまな歴史の中に散見される「異性装」の資料を取り上げて紹介しながら、日本の社会風俗の中で「異性装」がどのように受容されてきたのか、その歴史を掘り起こすとともに、明治以降の社会変化の中でそれがどのように「異常なもの」とされ、抑圧的な規制に遭ってきたのかが紹介されている。
こうした「異性装者」はマジョリティではなかっただろうが、日本の風俗の中に連綿と生き続けてきた。というか現代でも「歌舞伎」や「宝塚」を揚げるまでもなく、「異性装」を好む者がいて、そういう「異性装者」を好む者もいるのだ、と思う。
僕自身が「異性装」に自身の嗜好として持たないということもあるが、逆にそれゆえに「異性装者の視線」から見た社会風俗は、それこそ自分が持てない視点からの視線であり、読んでいてとても興味深く、ちょっとわくわくと感じたりもした(笑)。
こうした、「自分と違った視点」から語られるものは、とても面白く感じてしまう。


最近、個人的に思っている「日本社会のジェンダーの緩やかさ」とか、「性別における男女二性への二者択一の論理への疑問」とかについて、妙に刺激されたりもするし。
「女装者」と「ゲイ」、「ホモセクシャル」の違いなども興味深かったし、著者自身の『私の自己規定は(性同一性障害という立場ではなく)、単なる男性から女性への性別越境者(トランスジェンダー)です。』という宣言に含まれているものもまた興味深い。
性同一性障害」という理解もまた「男女二性」を前提としての診断ではないか、という疑問、そして著者の「あいまいな性」のまま生きる、という志向は、僕自身の「性別は男女二性だけじゃなくてもいいのではないか」という(まだ深く考えてはいない)疑問に対して、ひとつの解答を示してくれているような気がしないでもない。かも知れない(笑)。


なんてことを、いろいろ考えさせてくれる本でした。