乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

切断遺体事件


……書いていて、薄ら寒くなるような事件ですが……。


こうした事件、「殺すほどの理由ではない」理由で起こる事件について、前々からどうも拭い切れない「違和感」を感じたりしていたのですが、もしかしたらこういうことなのか? などと思ったり。


これらの事件がどうも「kill」とか「murder」といった言葉と結びつかない、どちらかと言うと「delete」、「undo」という言葉の方が合うような気がするのです。目の前の人を「人間」と認めて殺害するのではなく、「delete」可能な「障害物」として排除してしまっているような、そんな感じ。
「delete」してしまえば、とりあえず「こと」が起こる前に戻れると信じているような、そういうものが「社会」だと理解しているような……。
こういう「感じ」を整理しようとすると、えらく長い文章を書くことになってしまいそうなのですが。


「現実」を「ヴァーチャルなもの=仮想現実=現実感(リアリティ)」で了解するためには、「リアリティ=虚構の現実感→現実の虚構性」を「現実」に持ち込むことによってしかないのではないか。「虚構」を「現実」に持ち込んでくるような事件はこれまでもいくつも起こっているのですが、それには僕たちが無意識に「現実」を理解するために利用している「現実感=虚構のリアリティ」を材料にしているがゆえに、「現実」のメタファーとして持ち込まれた「現実感=虚構のリアリティ」を、「現実」を了解するための「哲学」として間違って受け止めてしまったがために起こっているのではないか、と思うのです。


分かりにくくてごめんなさい。自分でももっといい言い方があるような気がするんですけど(笑)。
「現実」と「現実感」の、世界が束になっても埋められない「深淵」を象徴するような事件ではないか、と思ったもので。


ついつい、桜庭一樹氏の『砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない』を思い出してしまったり。
そこには「現実感(リアリティ)」じゃなくて、「現実(リアル)」があるような気がして。