乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

あけまして

おめでとうございます。本年も、よろしくお願い致します。


正月三が日も今日で終わり。
今年はひとりで静かに過ごしました。


特に、ニュースと気象情報(あと、録画されてるアニメ)以外は、ほとんどテレビを見ることなく過ごしました。
静かに、と言いつつ、シーンとした部屋にいると、屋外も日頃に比べて静かだったりして、やはり音が欲しくなったりするものです。


というわけで、年末から三が日にかけて、夜のニュース以外は録画した番組を見ているか、そうでない時にはインターネットラジオポッドキャストを聞いて、時にはYouTubeを流しながら過ごしていました。これはこれで、「これもいいか」と思えるような時間の過ごし方ではないか、と。
聞く番組はいろいろ。ポッドキャストトーク番組を流しながら部屋の掃除をしてみたり、インターネットラジオで英語のラジオを流しながら、本を読んだり、ネットの記事を読んだり。ニュースもTwitterのタイムラインメインで。


そんな時間を過ごしてみましたが、「テレビではなくてラジオ、音声プログラム」を流す場合、「何か作業をしていて気になる情報が流れても、モニターの前に戻らなくてよい」というのは、(細かいことですが)自分の行動(やっている作業とか)を止めないですむ、ということなわけで、意外と自分の行動を抑制されなくてすむな、と感じてました。


テレビの場合、やはりプログラム(番組)自体が、「視聴者が画面の前にいること」を前提に作られていて、それもテレビの前から離れないような「引き」を作ってみたり、画面に注目するような流れを作ってみたり、そういう作り方をしていて、視聴する側もそういう「演出」を受け入れて観ているのではないか、と。

そういう視聴の仕方はもちろん「あり」なわけで、一家がひとつのテレビを囲んでいた時代から、個別にテレビを見るようになった時代を経て、テレビ以外のメディアが豊富に選べる時代になった今でも、そう変わっていないような気がします。


というわけで、「年末年始」という時間を、テレビの前ではなく過ごしてみたら、と思ったもので。
まあ、上にも書いたように、ラジオを流しっぱなしにしておくと、室内はそれなりに賑やかで(トークか音楽か、両方あるものか、を気分に応じて選びながら)、記事を読んだり片付け物をしたり、料理をしたり掃除をしたり、などという時間を過ごしました。


これはこれで、ありなんだな、というのが、個人的な結論かな。
テレビの「ながら視聴」と言っても、その殆どの時間は「何かをしながら音声を聞いている」時間であり、気になる話題が出てきた時に「ほんの一瞬だけ画面を見て確認する」程度しか見ないので、だったら最初から画面無しで、音声だけで説明されている方が、聞いている方としてはいちいち画面に何が映っているか、確認する行動を取らなくてすむ(もともと映像はないしw)というだけで、視線は自分の今の作業を見ながら、耳を音声に傾ける、ということができる、音声プログラムと言うのは、そういう媒体なのだな、と思えました。


農作業とか、様々な屋外作業で、ラジオを聞きながら仕事や作業をしている人は、今でも多いのではないか、と思います。テレビが普及して、ケーブルテレビや衛星放送が普及して、更にネットで視聴覚番組が配信される時代に、果たして「ラジオを含む音声プログラム」の可能性はどこにあるのか(ありそうに感じてましたが)と思ってましたが、これはこれでありそうです。


いろいろ細かく考えると、いろいろ論点が出てきそうですが、今は僕はそれ以上追求できないのですが。
こういう情報の受け取り方もあり、ではないかと思います。
そして聴取者が「音声プログラムから何を受け取り、何を感じるのか」は、聴取者の側の問題ではあるのですが。


ま、今夜はこの辺で。