乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

「喧嘩」見物の作法


「喧嘩」はひとつのコミュニケーションであり、「身体までも投じた自己主張のぶつかり合い」である。そこには、当事者が意識するべき、ある「ルールのようなもの」が存在する。


 というようなことをこの間書いた訳ですが。(『喧嘩のルール』参照)
 で、これまでは「喧嘩」の当事者について書いてきたわけですが、ではその「喧嘩」の近くにいる人間(友人とか、クラスメイトとか)はどうすればいいのでしょうか。
「喧嘩」をひとつのコミュニケーションとして理解するならば、これはむやみに止めに入るわけにはいきません(笑)。1対1の「喧嘩」が「喧嘩」として成立するように、当事者を暖かく見守るというのが、友人やクラスメイトとして正しい姿なのではないかと思うわけです(笑)。
 では、ふたりの「コミュニケーション」=「喧嘩」を暖かく見守るためには、何を意識しておくべきなのでしょう?


 まずは「ルール」で書いたようなことをふたりが守れるように、考えなければなりません(笑)。当事者が「取っ組み合い」をどこで始めるか、にもよりますが、固いものや重いもの、刃物など身体に深い傷を負わせる恐れのあるものは、ふたりから離しておいた方がいいでしょう。教室ならば、机や椅子をどけて、ふたりが「取っ組み合い」を安心してできる(笑)ようにしてあげるのがいいのではないかと思います。


 また、「喧嘩」が始まるとむやみに介入しようとする人が出てくるかもしれません。しかしこういう人も1対1の「コミュニケーション」に、それも途中から参加することは「喧嘩」の性格を変えてしまう恐れがあります。こういう人が介入してこないように、気を配ってあげることも大切です(笑)。


 そして、ふたりでコミュニケーションを、といっても、「喧嘩」の発端を忘れてエスカレートしてしまい、お互いが棒切れや刃物を持ち出すようになってしまったら、これは「コミュニケーションとしての喧嘩」ではなくなっている恐れがあります。この場合はできるだけ早く、自分の安全に充分注意しながら止めに入った方がいいでしょう。後ろから羽交い締めにするなどしてふたりを引き離し、睨みあっている視線を外すようにして、クールダウンさせてあげましょう。


 また片方が明らかに戦意喪失しているにも関わらず、もう片方が手を出し続けている場合も、一度仲裁に入った方がいいと思います。この場合も「1対1のコミュニケーション」から離れて「一方的な自己主張」になってしまっている恐れがあるからです。


 それと、前にも書きましたが、当事者が大ケガをしてしまった場合、この場合は即座に「見物」モードから「事故」モードに切り替え、当事者を止めるとともに人を呼ぶなどして助けに入った方がいいでしょう。


 ざっと思いつくのはこの程度でしょうか。この文章は思いつきで書いてますので(笑)、まだいろいろと留意点があるかもしれません。


 とりあえずのところ、ここまでで一区切りとしておきます。「喧嘩」がどうのこうのと、くどくど文章を書き連ねてしまったので、読んでいて疲れるものになっているかもしれません。とりあえず、思いついたことは一通り書けたような気がしないでもないので(笑)。


 子供たちの、それもクラスメイトといった近しい関係の間で、どうして悲惨な事件が起こるのか、つらつらと考えてきた結果として、これまでの文章はあります。
 口喧嘩ができても「取っ組み合い」の喧嘩ができないのではないか、今の子供たちには、誰も「喧嘩は素手でやれ」と言ってやったことはないのではないか。そう思い、書き始めてみたら、こんな文章になっちゃいました(笑)。


 ついナイフをとり出した少年も、「喧嘩は素手が基本」だと前もって教わってたら、ニュースに取り上げられて校長先生に「命の大切さ」などと説教(笑)をされなくてもすんだのではないか。そんな気がするもので。


 こどものみなさん、けんかをするなら、まずは「とっくみあい」から、ね(笑)。まずはそれが「きほん」ですよー。


 ……誰も読んじゃいねえか(笑)。