乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

自殺の(非)連鎖


みんな、死んでいきます。「いじめ」で、「履修不足」で、「自治体の裏金」で、大人も子供も、みんな次々と自殺していきます。


それぞれの「死」にはそれぞれの「理由」があり、それぞれの「状況」があり、それぞれの「自殺という行為を実行に移そうとする決断」があったのでしょうし、またそれぞれに「後に残された悲しみ」があるのでしょう。
だから、それぞれの自殺に対し、報道などで触れるしかない僕などには、言える言葉など何ひとつないのですが。


ただ、どうしても感じてしまうことをひとつだけ。
誰もかれも、自分の人生と置かれた状況に対し、何ひとつ「納得する」ことも「満足する」こともなく、自殺という行為に身を投じてしまったのではないか、そう感じられて仕方がないのです。
彼らはどうして自殺を決意したのか、あるいは決意させられたのか、あるいは決意するしかなかったのか。彼らに選択肢はあったのか、なかったのか。あったにしてもなかったにしても、もっと違う道があったのではないか。
何を言っても、「外野の発言」であることには変わりないのですが。


以前に思ったことがあります。大人でも子供でも、「人はもっと生きたくて、生きようとして、その果てに『死』を選んでしまうのではないか」と。


『自分の身体を傷つけ、「死にたい」と呟く子供たちは、誰よりも、どんな大人よりも強く「生きたい」と願っているように、僕には見えるのだが。』(066 言葉の嘘・嘘の言葉
こう書いたのは、2002年だったようです。