乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

国家百年の計を、個人的に勝手に考える

なんか、いろいろ、「ゆっくり、じっくり考えなければならない課題」が、日本には多くあると思うのだが、ゆっくり、じっくり考えている間に社会や行政が変わっていくようで、どうにも文章にならないのだが。

というか、「ゆっくり、じっくり考えなければならない課題」を1回の文章である程度まとめよう、と思うのが土台無理な考え、ということなんだな。

というわけで、いろいろ、「ゆっくりと」考えていきたいと思ったりしているが、日々の生活に追われていると、ついつい途切れ途切れになってしまう。自分の頭の出来のせいでもあるのだが。

「国家百年の計」という言葉がある。
この言葉、調べてみると中国春秋時代の政治家、管仲の著書「管子」の中の一説「終身之計」から派生した言葉だそうで。

https://dime.jp/genre/1524340/

「百年の計」は、通り将来までを考えた計画、という意味で、長い時間をかけて人を育てる、という意味でも使われるとのこと。

「国家百年の計」とは、「遠い将来のことまで考えにいれて、国家運営の計画を立てること」になる。

昨今の政治・行政的課題においては、国会での議論においても、「遠い将来」のことについては「国際情勢の変化」などを理由にして語ることを避ける場面が見られたりするが、しかし「それだけでいいのか?」という疑問も生じる。

「国家の将来を、遠い未来まで考えていく」ことは、つまり、「世界の状況」や「各国の状況の変化」というものは、確かに予想もつかない出来事などで大きく変化することもあるだろうが、世界の情勢や他国の状況が変化しても、一国家として「変化しない、変化してはいけない」国家の姿とか、国家運営システムというのは、あるのではないか、とも思うのだが。

日本国憲法に書き込まれた「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義(専守防衛)」の考え方は、周辺の各国の状況が変わろうが変える必要のない「国家運営ビジョン」として考えられるのではないのだろうか、と思う。現政府は、「平和主義(専守防衛)」を変更しようとしているが。

このような、「世界の情勢が変わろうとも、変わらない国家の姿勢を示す」憲法の存在は、日本にとって重要な概念を提示していると思うし、それを変える時には、ゆっくりじっくり、幅広く、深く、考えを深めて考えていく必要があると思う。

そんな感じで、ゆっくり考えてみたい、と思う。
生活に追われて、途切れ途切れになってしまうかもしれないが。