乱反射の光跡 in hatenablog

なみへいのブログです。hatenablogヴァージョン。

筒井康隆『銀齢の果て』


銀齢の果て

銀齢の果て


 高齢者社会になった日本、人口構成比の調整のために、70歳を越えた老人たちに課せられる「サヴァイバル・ゲーム」。決められた地区ごとに、決められた期間、老人たちによって、生き残りがたったひとりになるまで殺し合いが行われる。


 何というか、作者らしい毒と諧謔のこもった1冊。
 最近、特に長編では「老い」と「死」をテーマにした作品が目に付きますが、それも作者が老境にいたってとても身近なテーマであるゆえでしょうか。そして老境にいたったがゆえに、自分に近い老人をあえて嗤って見せるような「毒」もまた、過去の作品とはまた違った味わいを感じさせるような。
 この後はネタバレ込みで。


 ちゃんと検証したわけではありませんが、最後2日間の登場人物の配置と動きは入念に計画されているようです。というか、この作者なら登場人物の動きをすべて作り上げてから執筆に臨んだのだろう、と思えるので(笑)。あ、そんなことは当然のこと、でしたか。
 もちろん、町内の59人の老人たちはきっちりと最期の1人を残して死にますし(笑)、やはりその辺に抜かりはありません。


 印象的なのは幕開け、最初の殺人劇が静謐な雰囲気の中で描かれていること。「もう少し生きてみたい」と思っている老人と、その友人で「友人に殺されるなら」と思っている老人の会話は冷静で、その言葉も理性的で静謐な雰囲気になっています。
「老醜」を描こうと思えばいくらでも描けるのでしょうが、この作品の中に出てくるのは冷静沈着に生き残りを目指す者から、家族を盾にしてまで生き延びようとする「みっともない」老人までさまざま。
 ある意味「老い」と「死」に面と向かった時に人間が取るであろうさまざまな態度が登場人物に振り分けられている感じです。以前のスラップスティック作品などでは、ステレオタイプな老人を設定してそれを嗤う、というものが多かった気がしますが、その辺は今回は違っています。
 とはいえ、最後のクライマックスではどんちゃん騒ぎ(笑)。ゾウは乱入し、捕鯨砲が空を飛びます(笑)。


 バトルに生き残って終わるのではなく、最後にバトルの計画・実行者である政府(厚生労働相とCJCK本部)への襲撃を最後にもってくるあたり、読んでいて「そうきたか!」とウケたり(笑)しましたが、この作者ならそこまで行ってもおかしくはない、と納得もしたり。
 最後に主人公が怖じ気づくのも、友人の裏切りを推測するのも、その友人がただ「遅刻しただけ」だったりするのも、笑ってしまいます。


 感動するというより、なにか考えさせられてしまう作品だと思います。
 老人が生き残りをかけてバトルをする社会、というのは、考えようによっては近々日本の社会に到来する社会像でもある訳で。
 登場人物の語りに紛れ込ませた作者の言い分(煙草のこととか)も垣間見え、その点でも愛読者には興味深いことと思います。


 国民年金、健康保険政策の行き詰まりなどのニュースを眼にし、耳にすると、これからの社会は、この小説のように武器を取ることはないにしても、「老人同士が生き残りをかけて経済生活というバトルを繰り広げる社会」になるのかも知れません。
「長生きができる社会」をこれまで日本は目指してきた訳で、現在の「高齢化社会」はその目標が達成された結果なのだ、とも言えるわけです。長生きができる国ならば、次の世代を用意することも急がずにすみます。「晩婚化」「少子化」もまた、「長生きのできる社会」だからこそ、なのかもしれません。
 そして、財政の悪化から社会福祉政策の頓挫が目前に迫り、現実の日本でも「増えすぎた老人」を何とかしなければいけないような、「シルバー・バトル」時代が来るのかも(笑)。


 そう考えると、その時に現実社会の老人たちは、それぞれどんな選択をするのか、この作品を通じて想像してみるのも面白そうです。
 ……現実には、面白がってる場合じゃないのかもしれませんが(笑)。


 それにしても、やはりこれは映画で見たくなる作品でもあります。おそらく作者も、何となくそれを希望しているような……(笑)。いや、作者の場合は、出演したがってる方でしょう(笑)。おそらく自分がどの配役をやるかも決まっていそうです(笑)。